〈420.朝5時から遠慮なし〉
11月22日。
遠征してきた観光地。とはいえそれほど魅力はない。朝から腹もよくないし、散歩したのちすぐ睡眠。
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セネガルに来てもうじき3ヶ月が経とうとしているけども、日常に溶け込んでしまって特になにも感じなくなったことがある。
モスクからの放送だ。
お祈りをする時間なので放送をしているんだと思うけど、わからない言葉とイスラミックな音程やリズムで超大音量。最初はいかにもイスラム教国家としてテンションがあがったものだけど、そういう純粋な感想を忘れてしまっていた。
なぜ今になってこんなことを書くかというと、泊まっているゲストハウスのとなりにモスクがあるからだ。
とにかく音がでかい。朝から遠慮なく大音量だけど夕方から夜にかけて一番賑やかになる。特に金曜日は礼拝の特別日らしく、いつものカセットテープ的な放送以外になにか生で放送している。
腹痛で横になってる時にこれはなかなかだぞ。
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観光地ということでなにかそういう面白いものを見なくちゃいけないと思う一方、そのおかげで日常を思い出されるものでもある。
当たり前に気づくためには、なにか比較対象が必要だし、当たり前から抜け出して未知と遭遇するべきなんだろう。
当たり前に気づいてなにになるのか。
当たり前が恵まれていることに気づいて、ちょっと幸せが増える気がするよ。
温かいシャワーが出るだけでこんなに喜ぶ日が来るなんて思わなかったぜ。
コンビニがないだけでこんなに不便になるなんて。
母国語に囲まれているだけでこんなに心が緩むなんて。
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そういう意味でも国外に出るとか、日常生活圏から出るっていうのには意味があることなんだろうな。
いま一番求めているのは、そういう日常に戻ることなんだけどもね。
ずっとこちらにいればそれがまた日常になるんだろうな。非日常が日常に変わるのは時間かかるだろうよ。