ホウチガブログ

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〈691.倫理とクリティカルシンキング〉

8月19日。

 

ゼミの亡骸が落ちていた。

それは自転車に轢かれていた。死後落ちているところを自転車が通行したのだろう。

無感情に通り過ぎようと思ったけど、その自分を認識した時に文字にして残しておこうと考えた。

 

 

ちょうど友人と映画や映画の話をしていた。どういうタイプのグロテスクなら耐えられるか。友人は人間通しの醜い争いが嫌いだと言った。僕はそれは見ることができるが、人間が捕食されるのは無理だと言った。万人共通だと思っていただけにそんなこともあるのかと驚いた。

種族という語が正しいかは我慢だが、人間という種族に特別な感情を僕は持っているらしい。

 

セミの潰された亡骸を見るとそれが思い出された。もちろん、セミの亡骸は夏の風物詩ともいえるほど日常の中にある。だから特別な感情が出てこないのかもしれない。それでも、自転車に潰されていたらなにかしら抱いてもいいだろう。

 

 

仮にこれが人間だったらどうだろう。

間違いなく目を背ける。そしてその道を歩くことすら避けるだろう。あるいは大騒ぎして助けを求めるかもしれない。とにかく異常事態だとして騒ぎ立てる。

しかしこれはいまの日本の倫理観に過ぎない。

 

仮に2世紀前のアメリカ大陸とかだったとしよう。同じように黒人男性の亡骸があったら、同じように騒ぎ立てるだろうか。

そんなに前でなくてもいい。1世紀前の日本や満洲でも、同じように中国人朝鮮人の亡骸があったら、同じように騒ぎ立てるだろうか。

 

実際のところはわからない。しかし、倫理観は変わり続ける。そういう意味で1世紀後にセミの潰された亡骸を見て騒がない倫理観を疑問に持たれるかもしれない。しかし、批判をされたところでそれがいまの倫理観なんだもの。仕方があるめえよ。

 

 

倫理観は当然のこととされる。人権や道徳。そういうのが体系化されたのは最近の話だ。当たり前じゃなかった。だからこそ、常に疑うことが、大切とは言えないし必須だとは言えないけども、人生を豊かにしてくれる、という言葉で表現していいんじゃないかと逃げておく。

クリティカルシンキングといわれるやつだ。いまの価値観を相対的に評価する。そうすれば、いろんな境遇を否定できなくなるし、いろんな意見に寛容になれる。

 

 

戦闘力132日目

929(+8)

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セミの亡骸が落ちていた。

それは自転車に轢かれていた。死後落ちているところを自転車が通行したのだろう。

こんなことが昼間から起きるか。なんとも京都は治安が悪くなったものだ。

私は大急ぎで交番に入って大声を出した。

「そこでセミが死んでます!助けてください!」

 

うーん。