ホウチガブログ

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〈1378.愚痴について〉

7月6日。


私の主観的な話。
仕事後に同期の愚痴を聞く機会があった。
それで愚痴の対象の人間の意見を聞いていないのでいまいちわからないのだが、大抵の場合、問題は双方にあるのだろう。
人間に対する愚痴を言う人間にも問題はあるわけで、事象に対する愚痴であればいくらでも聞いてやろうと思うけれど。特に仕事であればなおさらである。
すべてのことを自分の責任があると考えられない人とはあまり良い付き合いができない。
圧倒的に相手に問題がある状況であっても、多少なりとも自分に責任があるという譲歩が一度もないのはあまりにも問題がある。
自己を顧みて、反省できないのであれば、同じ問題はいくらでも発生するだろう。



「罪を憎んで人を憎まず」これをまずは大事にする人間であることが、僕が好きである条件である。
たとえどんな人間であっても、どこかになにか良いところはあるわけで、悪い言い方をすれば利用できるポイントはあるし、僕にとってマイナスになるところもあればプラスになるポイントもある。
その総合得点が、私にとってはマイナスになる人間もいるだろうけど、それと付き合うのは仕事だということで割り切らなくちゃいけない。
それがしきれないときに愚痴を言うのは仕方ない。俺だってある。頭に血が上ればそういうこともあるだろう。だが、どこかで自分だって完全な人間ではないということは頭のどこかに置いておくべきであろう。


全部人の責任にするのは楽だけど、なんにも自分のためになってないことに気を付けるべきだ。
そして愚痴というのは聞き手のモチベも下げることに気づくべきであろう。相手の貴重な時間を奪っていることに意識を向けておくれ。



人に共感してほしい、慰めてほしい、という愚痴の話はどうも苦手である。
聞いてくれればそれでいいという話は私の時間の無駄に思える。だったら解決策を出したほうが特だし、メンタルにも良い。


しかしまあ、ここまで書いてみて毎度思うのだが、書いているときの自分はかなり論理的判断を下そうとするので、私の一部としては正解かもしれないが、等身大ではない気がする。
俺だって慰めて欲しかったり、共感してほしい時だってあるでな。それが言い出せずに、ひとりでもやもやしている時間があるというのは、結局自分の時間の無駄遣いであろう。だったら愚痴でもなんでも、発散しているほうが特かもしれんぞな?



しかしまあ、愚痴ばかり吐いているやつの近くにはあんまり近寄りたくはない。
愚痴を聞くのはさっきも書いたけど、聞き手にはマイナスしかないでな。
つまり、愚痴を言って、ひとりでもやもやする時間が少ないのは効率的かもしれないけれど、人は寄らなくなるでな。やっぱり人の愚痴を言うのはよくないよ。


あくまで主観的な話なので、「僕は」という主語を意識して多く使いました。これが一般的ではないと思います。

でも共感してほしいからわざわざ文字にしているんだろうね。まったくめんどくさい生き物だよ。