3月27日。
24歳になった。今年は群馬でちょっとイベントごとがあって忘れられない日になった。とはいえ誕生日は全く関係ないことだ。
年々誕生日はふわふわしてくる。なんで祝うんだろうか。なんでプレゼントをもらえるんだろうか。
。
どうぶつの森とかだと、生まれてきたことを喜ぶ日とか言ってくれる住民がいる。人と人が出会うためにはまず双方が生誕する必要があるということだ。
確かに自分の存在を疑うきっかけは普通に生きていれば基本的にない。自分がこの世に生まれたことを考える日という意味では誕生日は確かに祝っていいかもしれない。この世に生まれたことを考えるってなんだよ。ただ生まれたことを喜べばいいだけだろう。
友達は、1年間無事に生きられたことを祝っていると言った。赤ちゃんの頃とか飢餓に悩まされたかつての日本だとそうかもしれない。明日も無事に生きているかわからない環境であれば、それを365回積み重ねることができたことを祝う日になる。現代でも事故だったり急病だったりでいつなくなるのかはわからない。
確かにそうだ。生きれていることはありがたいと思い、人との関係性を感謝する良い機会なのかもしれない。
。
しかし感謝するってなんだ。よく災害や戦争の歴史を振り返って、今生きていることに感謝するとか、いまの平和な時代を噛み締めるってなんだ。いまいち具体的にわからない。
友人関係であれば、改めていつもありがとうと伝えることかもしれない。親友を失った時の一番の後悔はそれだったからね。今一度、僕/私と仲良くしてくれていることに感謝を伝えることだ。
家族であれば、ここまで育ててくれたこと、生きる支えになってくれたことを感謝することだろう。産まれるためには両親が必要だし、育つためにはきちんと世話をしてくれる人間が必要だ。その大変な苦労を感謝することかもしれない。
時代を噛み締める、生きていることに感謝するってのはイマイチわからない。だから、各々が考える感謝をそれぞれの対象に向けることだということにしようかな。それが結果的には時代を噛み締めることになるかもしれないやな。そんなかっこいいことしなくていいやん。
いつも近くにいてくれる人にありがとうって言えばいいじゃん。
。
ちょうど年度終わりに誕生日なので振り返るにはちょうどいい。
誰にとっても激動の1年間だったね。来年度はもっと楽しい一年になるといいですね。
とにかく、1年間ありがとうございました。また1年間よろしくお願いします。
いつもありがとう。お世話になっております。これからもよろしく。