〈1189.お誕生日〉
12月29日。
だいちが誕生日のようだ。
年末年始に誕生日がある人は、お年玉と誕生日プレゼントが一緒にされるとか不幸話をえらく聞かされてきた。だいちはどうなんだろう。
我々は25歳だったかしら?
四捨五入で30歳である。20代前半とは言えなくなった。
僕ももう少ししたらだいちにおいつく。それまでは年下である。まだ20代前半と言い張れるのもあとわずかということか。
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アラサーとまではいかないけども、かつてはおっさんやなぁと思ってた年代に突入しつつある我々である。意外とおっさんじゃあないぞと叱ってやりたい。
いくら歳を取っても僕は僕であり、だいちはだいちであなたはあなたである。
コロコロコミックが好きだったガキンチョの延長線上にあることに変わらない。人間そんなものだろう。
もっといえば、40代とか50代とかの完全におっさん世代も、心は大しておっさんじゃあないんだろうな。
めんどくさくなって、保守的になって、というのは確かに加齢で引き起こしそうだけども。
とはいえ三つ子の魂百までであるそうだよ。
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25歳になった気分はどんなだろう。
別に何もないだろうな。これまでの誕生日以上になにも思わなくなっていくのだろうな。
誕生日ケーキにプレゼントももらえたころは、一歳歳を取ることの意味が大きかったけども、いまでは身体的な成長はない。小学低学年から中学年のような身分の変更も年齢と関係なく起こる。
誕生日に対して無感動になり、感情もなくなり、そのうち誕生日がいつなのか忘れるのかもしれない。
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自分の誕生日なんてそんなものでいいのさ。
大事な友達とか家族とか、そういう生きててくれること、出会ってくれたことに対して感謝を伝えるための日になるのだ。
つまり、自分のための誕生日から誰かとの関係の誕生日になる。
おめでとうと言われれば嬉しいし、そしたら飯にでも行こうかと言う話になるかもしれない。そんでもってやっぱりこいつはいい奴だと思える。
そういうふうに誕生日の意味が変わっていくのも、老化なのらかなと思います。
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寒くて凍える駅のホームで、SMAPの夜空ノムコウが流れている。
何かを信じて来れたか、あのころの未来に立っているのか。
どうなんだろうね。どうすかだいちさん。