ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈991.講談師として冒険を〉

6月14日。

 

自分の話である。


幼稚園から小学校低学年のころ、祖母が入院して母親はその対応と仕事に追われていた。父親はそのころは若手の教員として生徒指導とか進路指導とかいろいろ任されて帰ってくるのはいつも20時とか21時くらいだったらしい。その頃の記憶は幼稚園での生活と姉や姉の友達に遊んでもらっていた記憶がほとんどである。別に悲しかったわけじゃない。
そして一人の時間をその時に初めてゲームボーイポケモンをやった。ドラクエ3をやった。冒険に憧れたのはたぶんそこからだった。

 

 

そのあとしばらくはテニスに一日のほとんどを取られることになったので冒険は一時中断となるが、知らない道にふらふらといく癖ができたのは幼い時の記憶からかもしれない。そしてアフリカに、東南アジアに行ってしまったのもそういうことだ。
冒険を通して未知を知るようになって、世界が広がっていって、自分や仲間が成長して難しい壁を超えていく。そういう基本的な物語を小さい時に知ってしまったからだろう、今でも冒険をしたいと思っている。
それが物理的な冒険かもしれないけど、最近は質的なほうの冒険を求めていると思う。
帰るべき場所があるうえでの無謀な冒険をしたい。水戸黄門的な旅って良いな。

 

 

帰るべき場所があるうえでの無謀な冒険ってとても矛盾している気がするけども。たぶん、行った先で見たもの・体験したことを土産話として話をしたいんだと思う。
そういう意味では、語り部って転職なんじゃないかと思う。切り株に座って熱弁振るうような。「バカボンド」の武蔵の話をする又八みたいな。落語家というより、講談師のような。
あくまで主人公は自分じゃなくて、話に出てくる人たちで。

それってやっぱりドラクエとかポケモンもそうだと思う。主人公は一言もしゃべらない。自分が操作して物語が展開していく。半分自分で半分は自分じゃない。その立ち位置が一番好きだ。

 

 

主人公の名前が設定されていて、セリフがあるのはあまり好きになりきれないことが多い。半分自分ではないから。
小説とかでも、セリフよりも空気の描写で人間関係を描いているほうが好きだったりする。だからシェイクスピアの日本語訳の戯曲は好きになれない。

デルトラクエスト超好きだったなあ。死ぬ前に一本くらい書いてみたいやな。