11月19日。
今日は良いラーメンの日だった。
ラーメンを友人達と食べに出かけた。
ぶっちゃけてしまえば、それほどモチベーションがなかった。ラーメンのためだけに電車に乗って、昼飯のために朝から移動するのは全く理解できない。夕飯のために30分待つのであればまだ理解できるけども。
結論を言ってしまえば、積極的に行くかはわからないけども、後悔はないし、むしろ新しい世界を知ることができた。
世界は広いぞ。
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今日は麺を2種類食べた。海老つけ麺とトマトラーメンである。
海老つけ麺は、想像より遥かに海老の香りががっちりと漂う店内であり、これでもかと言わんばかりにしっかりとした味であった。他のつけ麺とは全くの別種の、ニュータイプのやつだった。
トマトラーメンは、いわゆるトマトラーメンとは全く別物であった。チェーン店とかで食べたことがあるけども、そういうトマトラーメンはトマト+メンという正直想定通りというか、トマト鍋の残り汁に麺を突っ込んだのと同じ味というか。
しかしながら、今日の店は違う。トマト+メンではなく、トマトラーメンだった。ちゃんとラーメンの魚介系の味ときっちり混ざり合ったトマトであり、ひとつの新種の食べ物としてそこにあった。
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美味しいラーメンとは、という話を一緒にいった友人たちと話をした。そこでひとつの結論に至る。
1+1=2が普通のラーメン。
1+1=3,4,5…がうまいラーメン。
1+1=1のラーメンが開拓者のラーメン。
それでいうと、一店目の海老つけ麺は1+1=7,8,9とかの特別うまいラーメンだった。二店目のトマトラーメンは1+1=1のラーメンだった。
そこに優劣はないけれど、二店目の衝撃は異常だった。新種の魚を釣ってしまった時のように、理解不能から始まり、解釈から理解に至り、そして感服することになる。
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「ラーメン」という、だれもが想像できる味があり、抽象的なイメージや期待値がみんなの中にある食事で感動させることはとんでもなく難しい。
高級フレンチを食べるのは、有名な画家の絵を見るようなものである。正直なにが素晴らしいのか素人目にはわからないけど、みんな上手いっていうから上手いと言っておくような。
誰しもが知っている料理を食べるのは、Twitterで流れてくる絵師の絵を眺めるようなものだ。日常の一部と化してしまうイラストの中で、飛び抜けることはとんでもなく難しい。期待値調整もできないので単純に殴り合いで勝つほかない。
ラーメンはまさに後者である。数多あるラーメンのなかで感動させるのは人並外れた努力とセンスが必要なんだろう。センスといっても天性のものもあれば、勝ち取った論理的思考回路もあるだろう。
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ラーメン巡りをしている人からしたら素人がほざいておるわと言われてしまうが、今日の2店はとにかくすばらしいものだった。
こういう出会いがあるのであれば、月に一度くらいはらーめんのための外出もありかもしれない。世界は広いぞ。