1月17日。
色々うまいもん食ってきた。ちゃんぽん、カキ、ステーキ、ハンバーガー、魚、トルコライスとかいうよくわからないもの。
旅行を思い出すと、結局そういううまかった記憶しか出てこないなあ。
やっぱり人生花より団子ということか。
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もちろん歴史を残す観光地の思い出もある。
しかし、きちんと学びつくすには観光という時間では短すぎる。
展示してくれている看板や説明書きは、文字が多いので理解が追いつかないこともあるし、それもかなり偏りのある話であることも少なくない。
そもそも歴史というのは、現代的な意義が付け加えられているので、「そのもの」を認識することはできない。というか、人間の認知というのは必ず偏りがあるわけだ。
つまり、ひとつの歴史観光地をきちんと学ぼうにも、研究並みの勉強が必要なので、わずかな時間では不可能だということだ。
となると、自分の感性に従って記憶に濃く残っているものを大切にするしかあるまい。
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そうなると、道徳的な教えのある場所は正直それほど意味をなさない。
それ以上に、美術的な価値や衝撃を与えてくる視覚的情報が、帰宅後も色々と考えさせられる。美しさの前には、善も悪も平等ともいうらしいじゃないか。
つまり、旅で出会ってきたのものを振り返るときに、印象に残っているものが自分の今後につながるものだろうし、そういう感性でキャッチしたということは、これまでの自分を形作るものでもあるだろう。
観光地開発というのは、そういう視点も必要だろうな。
地域が残したいと思うのならば、感性に問いかけるような工夫が必要だろう。
それに歴史や美術的価値のもつロマンが使えるということだ。
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といったけども、やっぱりうまいもんは写真で残すし、文に書きたくもなる。
ネットで旅行先を調べると、結構いろんなグルメがあることがわかる。
そしてそのグルメは歴史的背景があったり、地理・環境の背景があったりする。
つまり、うまい飯を食うということはその地域を食うということだ。
ならば食うときに、その食うものがどんな歴史を持っているのかを考えてみるのが良いじゃないか。
そしたらその地域にももっと愛着がわくかもしれないわね。
かつての誰かの思いがそこに伝わっているかもしれないわね。