ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1290.サウナ学入門〉

4月9日。

 

サウナで整う、という言葉をよく聞くようになってから数年が経過してる。
整う、という言葉が何を指しているのかよくわからないし、そういう用語を作るあたりから嫌悪感があった。普通に気持ちがいいとか、爽快感とか、そういう日常語とは一線を画そうというのがすごくやだ。
それの特別感を示そうとかいう意識があってやだ。覚えたばかりの横文字を使う意識高い系みたいでやだ。
そしてつい先日、整ってきた。気分がいいぜ。



今の時代すごいもんだ。サウナでブラウザ検索すれば、サウナ検索用のサイトが出てくるし、そこがどんなものなのか細かく説明しているし。サウナ愛好家の沼を垣間見て嫌悪感を感じた。
それで、だいちが行こうっていうので仕方なし行くことになった。仕方なくね。


駅近の巨大銭湯に行き、そこで付属のサウナがいいというらしい。
そこそこ人がいるし、サウナ目当てのおっさんとか兄ちゃんとかが裸で列をなしている。これまた嫌悪感だ。なにがそんなにいいんだかあたしにはわからないね!
色んな種類の湯船をエンジョイし、横目でサウナを見ていると、どうやらすいてきた。まあそんなに人気なら行ってみてやろう。サウナ室前の冷水も気に食わないがね!


温度はそこそこ。階段状になっていて、中腹あたりに座る。すでに人がわさわさ座っていて、おっさんなんかははあはあ言っている。そんなに疲れてるならはよ出なさいよ。
座って2,3分。結構暑い。最初は永遠にいけると思ったけど、これはなかなかである。あと5分くらいでいいかなと思っていると、服を着たスタッフがサウナに入ってくる。なんか桶をもっている。うつむいていてよくわからなかったけれど、突然じゅうじゅう言い出して温度があがる。なるほど、俺が入ったのは冷めかけの状態だったらしい。
そこから2分と経たず、外に出る。ドアから出てすぐに押し寄せてくる外気が何とも気持ちいい。
ドアすぐ近くにある冷水をすくい、体にかける。冷たいが、体が熱いせいでよくわからない。汗を流しただけなような、そんな感じ。


そしていよいよ、冷水に全身でつかる。いままであの冷水がなんのためにあるのかわからないし、時々そこから足元に流れてきてちめたい思いをして不愉快な対象だった。そんなあいつがもうスバラシイ。アツアツの体と、外からの冷水で体が無になる。確かに外界と内部を隔てる皮膚はあるし、感覚もある。だけど、なんだろうな、その境界が曖昧になるような、そんな感じ。
ながく浸かっていると危険だと、大昔に滝行した時に教わったので、1分か2分か、はたまた30秒か。時間の感覚も失っている状態だけども、やや早めにあがる。露天風呂エリアにある椅子に座る。
これはもう無の境地である。サウナの疲労感と水風呂の爽快感、暑さと寒さ、外と中、そういうあらゆる境界が曖昧になって、思考回路も疲労がありつつのすっきりしつつ。これはなんとも表しにくい状態である。
これを3回くらいやった。


たぶんスーパーサイヤ人になったらこういう気分なんじゃないかな。最強になった気分になる。



「整う」というのをネットで調べてみると、血流が良くなることで陶酔感を得た様、というような話が書かれている。なるほど、きちんと文字化してみると単純な話だ。血流が良くなって陶酔感を得るというのはスポーツそのものである。走りに走って、疲労、過労、疲弊など一定水準を超えると気持ちよくなってくる。「ランナーズハイ」というやつだ。
一種のそれなんだと思う。「サウナーズハイ」というとなんかかっこつけててやだ。でも同じような話だと思われる。それが、運動よりも簡単に、座っているだけで得られる。なんとも手軽な「ハイ状態」じゃないか。


それから数時間して家に帰ると眠くて仕方なくなる。これはまさに運動後の疲労に近い。
ただ、個人的にはサウナでのんびりしているだけで疲労というのはメンタル的にうれしくない。運動しての疲労感は肯定感があるけれど、サウナでのんびりしてただけだからね。
そういう不満感を覚えながらも、気持ちよく眠りにつきましたとさ。