ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1301.友達、プレゼン〉

4月20日

 

プレゼンは難しい。
決められた時間の中で何を話すのかを絞らなくてはならない。そしてそのために「自分がいれたい情報」を切るべきときもある。その判断が難しい。
「自分が入れたい情報」というのは、発案者である自分が気に入っているポイントである。そこを話さずに面白さは伝えきれないと思うポイントではある。
しかし、大抵の場合そういうポイントの説明は複雑だったりする。プレゼンで説明するには時間を食いすぎる。
ということで、できるかぎり伝わりやすい情報、核心部分のみを説明することになる。


そしてその結果、なんにも伝わらないプレゼンをしてしまう。悔しいよな。



プレゼンのノウハウの本は読んだことがあるし、どうすればいいのかはなんとなくわかっている。
じゃあなにがダメで我々のプレゼンは響かないのか。これはもう自分のことを知らないからだ。
なにがそのアイデアの根源にあったのか、それのなにが面白いのか、それを言語化しきれていないからだろう。
それができていれば、伝えるべきポイントは明確になっているはずだ。


これは就活と同じだ。
なぜわが社に応募したのか、志望動機はなにか、なにをしたいのか。
そこを話すには自分の物語を語れば良いわけじゃあない。会話なんだもの、相手の質問にクリティカルに回答しなければならない。


「1+1はなんですか」
「それについて僕はこう考えました。まず街に出て果物屋を探します。そしてそこでリンゴを見つけました。一つと一つ。それをイケメンな店主に頼みました。するとリンゴ二個ですねといったのです。そこで察しました。リンゴ1つと1つを合わせて二個なんだと。もちろん、そのひとつのリンゴを真っ二つにしたら、1つから2つが生まれてしまいます。でも考えてもみてください、今考えるべきは…」
これは自分語りであり、不必要な情報が多すぎる。
こういう会話をする人はたぶんプレゼンで結構いるぞ。


問いが抽象的になるんだもの、答えの鋭さも鈍くなるよな。



「この商品はどんなもので、なにが面白いですか?」
この回答は難しい。ものの説明をしながら、その面白ポイントを伝えなくちゃならない。
しかし考えるべきは相手の立場だ。常に無知である想定を念頭に置くことだ。


自分がこれに辿り着いた経緯を説明するべきかもしれない、そっちの方が理解が容易になり、面白さも伝わるかもしれない。
一方で、自分の人生ありきで辿り着いたのであれば、それは無駄足である。第三者の視点に立って不必要な語りは省くべきだ。


三者ってなんだ。私と、聞き手じゃない人のことだ。
私が私なんだもの、そんなもの立てるわけがないじゃないか。そうだ。立てないぞ。
だからこそ、友達がいるんじゃないか。語って理解してもらって、面白いと思ってもらえたらプレゼンもその方法でいくべきだ。
伝わらないのであれば、磨き上げればよろしい。
そういう意味でも友達っていうのは在り難い。



自分中心で生きている人間についてくる人間もいる。カリスマと追従者である。
その生き方が難しければ、基本的には自分が正しいのかを常に問い続けることになるだろう。
それを確かめるには、自分ではない別の人が必要だ。そのまま参考になるかもしれないし、反面教師かもしれない。
とにかく、自分の鑑みるためには、対峙してくれる存在が必要だ。
良い時も悪い時も、友達というのは居て悪いもんじゃない。



「友達は必要か」という議題が時々見られるが、確実に必要だと思うぞ。
いないのであれば、それは自分自身の人間性に問題があるだろう。相手に良いことをし続ける人間に寄らない人間はいない。
その根本に育った環境とか、家族関係の問題とか色々あるだろう。
だからこそ、自分だけでも良い人間になって、友達を作る努力をすることだ。
これは僕自身への言葉でもあります。僕は友達が少ない
それはまわりへの還元が少ないことを示しているのだろう。
喜捨、というのが正しいのかはわからないけれど、それに近しいことだ。