〈1323.マーケティング入門〉
5月12日。
大型連休明けの僕はそこそこ調子が良い。
悪いポイントでいえば、低気圧でなんとなくどんよりしていることくらい。
同期の面々は、明らかにテンションが落ちている。愚痴っぽかったり、明るい話題が少なくなっている。
一カ月経過して、緊張感の代わりに疲労感が漂い始めているようだ。
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最初の1ヶ月は慣れないことばかりで、それが楽しかった。丁寧な講習のもと、細かいことまで教えてもらえた。
2ヶ月目になると、以前よりも指示の内容が抽象的になり、自己解釈の元、仕事を進める必要が出てくる。
大学院の研究が近しいと思われる。
正解がないからこそ、どうしたらいいのかは自分で決められる。
ただ、それは同時に難しさでもある。
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正解をどうしても求めたくなるのは、これまでの習慣にあると思う。
例えば大学であれば試験で答えが用意されていたり、プレゼンでも枠は用意されていて、最適解を示せばいいだけだった。
大学院入ってすぐの僕はそうだった。レポートもゼミ発表も、とりあえず正解と思えるものを探して、それに沿って進めた。
それがどうもよくないらしい。
枠があるということは、聞き手もある程度想像しながら話を聞けるので安心感がある。
ただ、例えば研究のアイデアなどを先行研究に頼っていると、新規性がない研究だとされ、面白くないと判断されることが往々にしてある。
大学のサークルでスピーチ作成した時と同じである。
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枠とか用意せず、聞き手にとって面白いと思うのはどんなことか。それを伝えるのはどんな方法が有効か。
これはある意味マーケティングであるように思える。
市場がどんな状況で、この提案をしたらどんな反応がもらえるのか。それを想像して、磨き上げていくような。
そこに楽しさを見出せないと、いまのクリエイターの仕事は面白くないだろう。
アイデアはほとんど前例と被る。
単体として面白いと思ってもらえるようにはなかなかできない。だからこそのマーケティングだと思う。
前例がどんなもので、それがどんな因果からその成果を出したのか。そのうちの何を掛け合わせると、より新しいアイデアが見出せるのか。
お客さんが何を考えているのか知りたいんだから、それはもうマーケティングを勉強するしかないだろう。
そこをおざなりにして、自分の世界だけの中でアイデアを考えても、おそらく面白くはならない。
という視点を得たときに、なかなか面白いもんだと仕事を思えている現状です。