5月23日。
駅に急いでいる。
例えば朝。出勤時間ギリギリの電車に乗りたい時に駆け上がる階段。
左側から上に向かって矢印が出ているから、左側をあなたは駆け上る。こちら側が登り手の優先道路なんだから。
そしたら向こうから私と同じ側を呑気に降りてくる人がいる。
まぁムカッとする。私が優先やろがいということで道を譲らないかもしれない。そりゃそうだ。相手はお気楽かもしれないが、私は一分一秒を争っているんだもの。
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今日もいい天気だ。予定通りの電車で出勤時間20分前の余裕ある時間。今日はコンビニでコーヒーでも飲んでいこうか。
階段を降りると下から駆け上がってくる人がいる。あらまあ時間に間に合わないのかしら。がんばりなさいよ。
この階段から降りる人には、階段に書かれている矢印が見えないのだ。だって、見下ろしで見えるところには矢印がないぞ。
これは実際に使う駅の階段がこの仕様になっているので気づいたことだ。矢印で歩く場所を指定されている階段は、大抵天井部分に矢印の看板がかかれてたりするはずだが。その駅にはない。
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そういう周辺情報を冷静に見れないのは緊急事態である。集中力が特異に働き、ある一点以外には向かない。
駅に向かう場合は、時間とルートのみに頭を使っているので、人間は全て障害である。そんな障害になる存在のことをいちいち考えていられない。
だからこそ、危険だし、無限のパワーがあるとも言える。
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今回これを話題にしたのは、意外と自分は視野が狭いんだなあという発見である。
駅に向かう階段の話は、僕が登り手で、よくわかんないおっさんが上から降りてきたパターンだった。
登っている最中、なんやあのおっさん、こっちが優先の側じゃんか。お前はあっちで降りてこいよと腹立たしく思った。
無事に電車に乗って、それがなんとなく思い出されて、おっさん目線になってみると、矢印が全くないことに気づいた。
そりゃあ好きな方で降りるわな。
緊急事態だったからかもしれないが、視野が狭くなり、心の余裕もなかった。
たぶん、これは象徴的なできごとであって、実際はもっと細かい概念的なところでたくさんあるんだと思う。
家事かもしれないし、対人関係かもしれないし、ちょっとした言葉遣いかもしれない。
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究極的には相手の視点には立たないし、気持ちも理解できないけれど。
それでもできる限りは相手に寄り添った話をしておきたいですね。
そのためにも、余裕を持ちましょう。