5月31日。
ようやく5月31日分の記事に取り組めている。
これを書いているのは、なにを隠そう6月5日PM21時である。
ほぼ毎日書いている体で投稿しているわけだが、さすがに10日分さぼったのは初めてだ。
社会人というのは、こんなにも忙しくなるのだろうか。
いや、僕の時間の使い方とかオンオフが下手なだけかもしれない。
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ハラミキにかつてインタビューしたとき、彼女は「夜は時間があるからなんでもできる」と教えてくれた。
確かにそうだ。それこそ、新人研修中に会社としても時間外労働をさせるわけにはいかないので、19時ごろには完全に終えている。
だから、記事がかけないわけがないのだ。一つの記事が約1000文字で、これを書くのに短ければ15分、長くても30分である。
その時間をひり出せないわけがない。
じゃあなんで書けてないんだ!お叱りを受けても仕方ない(誰に?)。
僕の探求心が仕事を終えられないのだ!だからしかたないんだ!
例えば、19時に仕事を終えて、24時に寝るとしよう。その5時間をどう過ごすのかと言いますと、飯に1時間、風呂・就寝準備に1時間。残りの2-3時間は途中途中で気晴らしを含みながらの作業継続時間なのです。
一つには近々あるプレゼン(6/5時点では既に終了)の準備が終わらないのです。
良い言い方をすれば、クオリティをあげるためにめちゃめちゃこだわっているというわけで、悪く言えば業務時間内で終えられないということです。
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今はまだ子育てしているわけではないし、なにか特殊な勉強をしているわけではないので、趣味という名の時間外労働を勝手にしているわけだが、あと数年後にはそうもいかない。
時間内できっちりハイクオリティなものを出し、仕事が終われば家事・育児に専念する日々がやってくる。
なんとも難しい話だ。今のクオリティを毎日-3時間で制作しなければならないのは想像できない。
もちろん、仕事を終えて作業をしていない時間の頭の片隅で考えていることはあるだろう。その片隅で考える時間がなければ、限られた時間の中で「思考→アウトプット」ができるわけない。
どこかで常に思考していることができる仕事人には必須なのだろう。
かつて高校の総合の時間に外部講師としてやってきた予備校の講師が言っていた。
「賢い人間は同時にいくつかの問題にとりくんでいるものだ。目の前の問題を解いたり、帰り道にぼんやり音楽を聞いたりゲームをしているときにも、超難しい問題についてどこかで思考が走っているものだ」
なるほど、それが仕事でも当てはまるわけだ。
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僕は実際に手を動かしながら考えるタイプである。
この記事を書いているときも、次の1行で何を書いているのかはわかっていないことが多い。今もなにを書くのかわかってないよ。
しかし、これをやっていると数年後に苦労するのだろう。
ノートとかパソコンと常ににらめっこしているわけにはいかない。こどもにミルクを与えたり、寝かしつけながら、企画について考えることが必要だ。
そうやってタスクを消費しながら、どこかで深い思考プログラミングを走り続けさせることに慣れなければならない。
大人になるってそういうことかもしれない。
限られた時間の中で成果を出すために、あらゆる時に思考回路が動いて油断をしていないような。
そういうためにも、「ほとんど毎日投稿している」という体で更新をするのは良い修行になっているかもしれない。