2月23日。
あけましておめでとうございます。
寒い日が続く中で時々温かい春を感じる時期になってしまった。
そんな久しぶりの更新をしたくなるほどの衝撃を受けた。
「プロ」にこだわっていた私が、「非プロ」のほうが優れていると感じてしまうようなことがあったのだ。
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スラムダンクの映画を3回見るくらいには、バスケにカブレるようになっている。
2-3週間前にはBリーグという日本のプロバスケの試合を見てきた。映画で見るのと違って、当然ながら速い。速いしダイナミックだし、戦略的でスリリングである。
ただ、もう一度見に来るかと言われると正直微妙だった。
というのも、ファンになりたいと思うほど魅力を感じるプレーはなかったし、なによりプロの技に気づけるほど私がバスケに詳しくないからだ。
ただ、試合に行くからついてこいと言われればホイホイついていくくらいにはファンにはなった。
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そして今日は、よくわからない試合というかイベントを見ることになった。
「プロではなく、DJがいる15時スタートのイベント」これだけが事前情報だ。ぶっちゃけ、イケイケおじさんの自己満足な少人数イベントなんじゃないかと嫌な予感がしていた。
会場も大田区で治安悪いところだし、「プロじゃない」し、1時間かそこらいれれば十分だ。
そうやって気が付けば19時過ぎてイベント終了までフルで観戦してしまった。
「プロじゃない」けどプロの試合以上に興奮した。
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プロじゃないとは言ったが、アマチュアというのは明らかに失礼なレベルでうまい。
インカレを戦ってきたような人たちの集団らしい。
しかし、素人目の私であっても数週間前に観たプロより甘いのはわかるような気がした。
ただ、その甘さがあったとしても、それを超える「魅せ方」を熟知した集団である。
つまり、プロとは違う方向で鋭くなっているということだろう。
これってつまり、インディーズってこと?
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インディーズとは、Wikiによれば
主にある業種において「メジャー(大手)」に属さない、独立性の高い状態を指す言葉らしい。
まさにその通りであろう。大手に属するというのは、バスケでいえばBリーグであろうし、プロを指すだろう。
バスケだけど、ルールも独自であった。「ストリート系」という分類のバスケだった。
私はプロになりたかった時期があるわけで、すべてに対する認識の中にはプロかそうでないかの二択が内包されていた。
しかも、世界をまたにかけるプロ中のプロが正しいプロだと考えていた。
音楽も、インディーズには興味がない。ゲームだって大手パブリッシャーが出す者がすべてだ。
だって、「中途半端に諦めきれない人たちが、中途半端な技術で自己満足のために世に出しているもの」がインディーズだと認識していたからだ。
だとしたら、あの会場の熱気は「嘘」ということになるのだろうか。
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断じて否だ。
かつての僕なら「結局アマである」と頑固に言い張ったかもしれない。しかし、プロの試合を見た後、ストリートの試合を見て、興奮はプロかアマかによるものではないと知った今では認めるしかない。
プロ/アマというのは非常に曖昧な境界だろうし、明確に技術の上下はないように思う。
なにより、たとえプレイヤーの自己満足であったとしても、それに「魅せられた自分」は真である。
「プロであることがすべて」と思っていたけれど、その「すべて」って一体何だったんだろう。
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もちろん、プロは競技するだけで生活できる/スポンサーがついてくれる、ということで楽しめることが保証されているのは言うまでもない。
レベルが高いのは間違いない。ただ、レベルが高いことが感動するということにイコールではない。
ひとつのことに特化したことで相対的には下手になるとしても、その特化したことで誰かのハートを貫くことができるのを身をもって体感してしまった。
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もちろん前提として一定のレベル以上である必要はあろう。
素人がどれだけがんばっても素人である。きちんと型を学んだり、人前に出て恥ずかしくないレベルまで到達してから、プロかそうでない道かを選んだ結果であろう。
純粋に好きで好きで仕方ないというのも必要かもしれない。
なにはともあれ、インディーズの中に輝くものがある。その輝きがプロを超えてくるかもしれない。
「プロ/アマ」の二項対立で捉えているのはもったいないし、そこに「優劣」をもってくるのはくだらないようだ。
「大衆が感動している」かどうかも、「自分の感じ方」には大して意味がない。
「自分が感動したかどうか」これが唯一自分にとって信頼できるものさしだ。
大事なことを見出すことができた日だった。
とにかく体験することだ。「ラベリングはしょうもない」と言う奴こそが、ラベリングを気にしているということだ。
ミイラ取りがミイラになっているということか。
これからは、もっとフラットに自分の感じ方を気にすることにしよう。