【1409.いつもの話】
8月26日。
仕事が楽しい。これは真。
趣味が楽しい。これもまた真。
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地元に戻ってテニスの試合に出た。全く練習していない中、初戦は勝った。部活で必死にやってた時のお釣り。
次戦、大学生に負けた。完全な脚力と体力の差である。固定砲台だったら勝てるけど、試合はそんなわけない。返ってきたボールがなんも取れない。無念。
ここで僕の目の前に選択肢が現れた。
A:テニススクールに通って次大会は勝ちに行く
B:これまで通り、大会直前にちょろちょろ練習してみて遊びで終わらせる
C:これに懲りてもう大会には出ない
これを考える上で、仕事と人生と趣味と、そこらへんの存在意義とかから問い直したい。
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まず、仕事というのはなによりも生きる術である。収入を得て家賃や食費を払う。
そして、自分のアイデンティティでもある。某ゲーム会社で働いて、売ればどこかで自分の名前を見つける人がいるだろう。昇進できれば自分が作りたいものをつくれるかもしれないね。
作りたいものが作れるようになれば、自分が生きる意味も見出せる。もちろん、今生きる理由がないなんていうことはないけども。
つまり、今を生きるため・未来をより良くするためにも仕事が最上位であることは揺るぎない。
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じゃあ、いまの僕にとってテニスとはなんだ。
地元の大会がない時は、プロの試合結果を追いかけて一喜一憂する。大会が近づけば練習してみたり、ランニングしてみたりする。
メリハリにはなっているだろうけど、必須ではない。健康にはなっているけど、大会に出なくてもよい。
割り切ってしまえば、将来のやりたいこととテニスはほぼ無縁であり、その時間があるなら自己研鑽に励みなさい。無駄なんだから。
理性的に、合理的に、効率的に考えればそうなる。テニスにかまけてる暇があるなら、仕事で結果を出せるように勉強するがよろし。
そんな割り切れないの。
仕事が楽しいのは間違いないけれど、テニスが楽しいのはまた別ベクトルで間違いのないことなのだ。そういう体になってしまっているんだ。
でも、全部を手に入れるほど器用ではないのを理解している。
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たぶんテニススクールに通い始めたら楽しくなって仕事を定時であがりはじめるだろう。勉強時間もテニスコートに立つことになるかもしれない。
そしたらきっと今描いている夢・目標が遠ざかるだろう。その代わりに大人テニスのトロフィーが手に入るかもしれないね。
趣味とは…
1.専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。「―は音楽だ」
2.物事から感じ取られるおもむき。味わい。情趣。「―のある絵」。物事の味わいを感じ取る能力。(それに基づく)好み。「―がいい人」
(Oxford Languages、ググったら最初に出てきた)
そこまでやってしまったらもう専門だ。
専門にするなら、人生を費やしてお賃金をもらえるようになるべきかもしれない。
でもそこに意義を見出せないのもまた真である。
視野を広げて人生を考えるのであれば、それはやっぱりクリエイターとしてなにかしら成し得たい。テニスではないんだ。
中途半端に燃え尽きれないまま引退したからこんなことになってしまった!
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つまり。
大学生に負けた悔しさはあるけれど、それはそれとして割り切るべきだ。あくまで僕は本業が1番だ。
ただし楽しいんだもの、次回も大会に出るだろう。出るんだったら勝ちに行きたい。
となると、取るべき選択肢はAでもBでもCでもなく、勝ちに行けるように敗因の脚力をつけるということだ。テニスレベルはどうせ大差ないんだから、走り込みさえできれば勝機が見出せるだろう!
つまり、ダイエットというわけです。
すみませんでした。