ジャンプシステムという言葉をご存知だろうか。
正式に存在する言葉なのかはわからないが、わかる人もいるだろう。少年ジャンプという漫画雑誌は知ってて当然だべや?そのジャンプだ。
そのシステムは単純明解で、一つの難敵を乗り越えたら、それより強い難敵が現れる。それを乗り越えると、またその先に難敵がいる。この繰り返しによって物語が成り立っている、という解釈の仕方の一つである。
たしかにジャンプ系漫画はそうだろう。ドラゴンボール然り、ナルト然り、ワンピース然り。いつまでもチャレンジャーとして主人公が挑み続ける姿に我々は心踊り、勇気付けられ、明日を生きる英気を養う。
チャレンジャーであり続ける、ということが非常に重要なのだ。チャレンジャーであるうちはリスクテイカーとして無我夢中に我武者羅に進み続けることができる。なぜなら、失敗してあたりまえ、負けて当然だからだ。
裏返せばチャンピオンになると、リスクマネージャーとして色々と計算をすることになる。負けることは想定外でなければならない。チャレンジャーに比べ色々なものを背負って戦うのがチャンピオンなのだ。
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はい。
今日はどんなオチをつけようというのか。チャンピオンとしての心意気か。それともチャレンジャーであり続けようというメンタリズムか。見切り発車で始めてしまったからはてさて困った。
これについても、色々話ができたかもしれないけど、この二項対立はここまでにしよう。
なぜなら私はこの両者に当てはまる存在としてなにか世の中のシステムに巻き込まれてあるかというとそうでないからだと思ったのです。
つまり、もう一つコロシアムには役割が存在しており、私はそれに該当していると思うのです。悲しいことに。
オーディエンス。観客であります。
観客は一切リスクを負わない。そのくせ試合の展開が悪ければもじゃもじゃと文句を言い、調子がよろしければスタンディングオベーションである。まったくもって良い御身分だこと。
私がこれなんだねぇ。悲しい。なんのプレイヤーにもなれていない。
ジャンプシステムではこの観客層には一切スポットライトが向かないのは当然だろう。観客に光を向けたところで面白い反応をするわけがないのだ。なぜなら彼らはリスクを負わない。人間の快楽にはリスクが必要だからね。リスクとの付き合い方が面白くさせるのだ。
というかジャンプシステムで言えば、観客はそれこそ我々読み手なのだ。
ヤムチャでもチャオズでもない。彼らも彼らなりに役割を負って闘いに参加している。我々は主人公たちの熱い戦いには混じれない。所詮戦闘力5以下の存在なのだ。
チャンピオンのあり方だとか、チャレンジャーの心得だとか、そういうのでも話はできるだろう。
しかし、僕がいつまでもちゃんと忘れずにいたいのは、観客であるときはマナーを守りましょうということだ。そして我々がその闘いの中で担える役割があったら、是非とも舞台に上がって、面白い演技の一つや二つしたいものだ。
オーディエンスは卑怯なものだ。難敵と戦わずして、新人を蹴ちらさずして、批評できるんだから。オーディエンスはオーディエンスらしく、その対戦に敬意を払い、拍手を送るべきだ。そして次の機会には舞台に踊り出ればよろしかろう。
結局なにが言いたいか。オーディエンスなら静観、騒ぎ立てるなら舞台で。そういうことよ。
私も早く研究という舞台で綺麗でなくても拍手をいただけるような、情熱的なフラメンコを踊ってみたいものよ。
もちろん、研究以外の舞台でもね。
血湧き肉躍る。そんな言葉を紡げれば良いんだけども。
観客を魅了する、そんなプレーがこの脂男にできる日はくるのかな。