ホウチガブログ

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〈1097.名前の呪い〉

9月28日。

 

最近話題になっている「○○県産」の農産物について。
某氏はロシアの某市の例をもとに、過去の事件を連想させてしまう市町村の名前を付けないほうがいいと主張していた。
これに対し、大きな反対意見があった。その市町村の努力に侮辱していると。

 

確かに名前というのはとんでもなく大きな力があるのは古くから言われている。一種の呪いでもあるとされる。名前がないものは存在を認識されない、名前をつけられると存在しなかったものも認識できるようになってしまう。
名前というのはそういう呪いの一つであるとよーく肝に銘じておくといい。

 

そのうえで、僕は某氏の意見に賛成である。名前というのは意図しない方向で解釈されるからだ。

 

 

例えば、僕が関西に行くまでの認識のこと。「淡路」というのは地震のことだと理解していた。しかしながら世の中には「淡路島」という地名があること知ると、「淡路=地震」は間違いであると知った。実際に行ってみるとなんともきれいでおいしい場所だった。知らないのは僕の問題である。

 

それが仮に世界規模の話にする。「アフリカ」と聞くと何を想像するだろう。
赤土の上で貧しいお母さんと子供の写真だろうか。あるいは援助団体が頑張っている地域だろうか。
もちろん、それも一つの側面である。しかしながら同じような現状は日本だってある。それも一つの側面である。アフリカでも金持ちもいれば貧しい人もいる。日本にも金持ちもいれば貧しい人もいる。

しかしながら「アフリカ」という名前のもと、植え付けられた「貧困」のイメージはなかなか剝がすことはできないだろう。「経済的貧困=不幸」とは限らない、もちろん大いに関係するけども。

 

 

逆に「日本」と聞くとどうイメージするんだろうか。それは僕たち日本に住む人たちが意見するところじゃない。イメージは独り歩きするから。
ケニアの学生に聞いたら、「ヒロシマナガサキ」と言われた。都会の大学生にも、田舎の小学生にも。たまたまかもしれないが、彼・彼女たちにはそういうイメージを日本に持っている。

仮にその人たちの目の前に「広島のお米」と「日本のお米」といったらどう違った認識をするのかはわかってもらえると思う。
70年が経ってもそういうものである。10年経っても、世界が抱くイメージは残念ながら変わらないだろう。ネガティブな情報はしつこいんだ。

 

 

しつこいからこそ、尋常じゃない努力が必要なのはよくわかる。その努力が報われにくいこともよくわかる。
しかし、名前が持つイメージの呪いは解くことはなかなかできない。不倫した芸能人の復帰が難しいことにも通ずるかもしれない。

とにかく、名前は大事である。大事だからこそ変えたくないのかもしれないが、変わりにくいからこそ戦わなければならない。

 

 

現地の人たちにはジュウゼロで応援する。だからこそ、厳しい現状があることにも向き合わなくちゃならない。きれいごとだけで解決できないのも事実。頑張ろう。