11月21日。
今日は良い引っ越し手伝いの日だった。
引っ越しの手伝いをした。といっても、新居に届いたダンボールを開けて、中身をどんどん出していくだけだった。
どうぶつの森みたいでなんだか面白いものを見た。最低限必要なものと、文化的な生活のためのもの。後者を見るだけでも生活の個性が表れていて面白い。
自分が引っ越す時にも手伝ってもらう人を呼ぶ予定だが、どう映るんだろうか。
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僕が一人暮らしをするときは、常に心の奥底には「短期しか住まない仮の拠点である」という意識があった。
なので荷物も最低限にして、引っ越しのタイミングで買い替えるものもあったりで、それほど物への愛着はなかった。
それももうまもなく変わるだろう。しばらくはそこに住む、永住はないけれどこれまでより長く世話になる。そしていつかは、ここで住む、骨を埋める、となるかもしれない。
今日手伝った引っ越しも、おそらく長く住むことになるだろう新居だった。
うまく言語化できないけど、ここに根を張るというのはなかなか思うことがいろいろあるだろうな。
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僕の実家は、僕が生まれるより前からあり、まだしばらくはそこにあり続けるだろう。その生活の前提現象となっている存在が変化するというのは想像がうまくできない。
帰れば必ずそこにあるものがない、というのは悲しく寂しいものだろう。しかし同時に新しく家があるというのは嬉しく喜ばしいものだ。
惜別会と歓迎会を同時開催するような、葬式と出産が同時にやってくるような。卒業式の気持ちだろうな。
たった4年や2年しか住んでいなかった大学時代の家でさえ、寂しさがあった。そして新天地への期待もあった。
今後はその感覚がより強いものになっていくんだろう。不思議なものである。
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特に予定している僕の引っ越しは、特に意味の強いものだ。学生身分から社会人へ、田舎から都会へ、仮の住まいから生活拠点へ。
最低限の道具に加えて、文化的な生活のための道具も増えていくだろう。これまで以上に愛着のある建物になっていくだろう。
毎年、この時期には不思議な気持ちになる。寂寥と高揚の混じった。嫌いじゃないぞ。