〈1321.複数エリアで〉
5月10日。
ゴールデンカムイを読み漁り、日中は仕事中心の生活になったおかげで、4月から最近までTwitterを見なくなった。
これはかなり精神的に良いものであるようだ。
前々から話題にしているけれど、Twitterは不満のたまり場になっている。
人の不満を聞くというのは、それだけでも疲れる。エネルギーが必要なものだ。
職場での愚痴をきくのもそうだろう。
人のマイナスは、伝播して自分のマイナスにもなる。
情報番組を見なくなることで、最新情報に疎くなるかもしれない。しかしながら芸能人の不倫やそれに対する批判的なコメントなど、全く不必要な感情変化がなくなる。
それと同じだろう。
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あとは、日常が忙しいというのは健康的なことである。
寝るときに仕事をバッチリ終わらせれば、なにも不満なく眠りにつける。
それくらい集中することがあるというのは、メリハリもできる。余計な情報をみようと思わなくなる。
意図的にTwitterを見なくて済むためには、普段の生活において、目に見える近い目標があることだろう。
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一方で感じるのは、仕事以外の生活においても、仕事のことが頭にあるというのは健康なのかという問いである。
今は余計な考え事をしなくて済んでいるので健康的ではある。これが、例えば結婚したり、子供ができたりしたら話が変わってくる。
仕事のことばかり考えていたら、共同生活はまわらなくなる。世話をするべき対象が存在すれば、自動的に仕事のことばかり考える健康法は取れなくなる。
仕事依存症にならないようにしなくてはならないということだ。
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僕は特に依存症体質であると認識している。
だから酒とかギャンブルは意識的に触らないようにしている。
しかし、仕事である程度ゲーム性を感じているので、日中の活動に依存性が発生している。
どっぷり仕事に浸かれている時は楽しくて仕方ないけど、例えば人間関係とか違う問題が発生してしまうと、いつも以上にストレスを感じるだろう。
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集中できる環境を作りながら、同時に依存しすぎずに、オンオフをつける。
天職に就くことができたからこその新たな問題である。
健康的な生活のためには、余計な情報をシャットアウトすることが大事だろう。しかし、だからといって一つのことに依存するのは危険である。
複数生きるエリアを用意しておけば、一つのエリアで問題が発生しても崩れにくいぞということ。