5月17日。
大学の同期がようやく外国に行くことができた。
入社して半年経たずで会社を辞め、青年海外協力隊員になった。一年くらいの研修で飛ぶことができたはずだが、コロナの影響で延期された。
それから計3年が経って、ようやくである。
空港へ見送りに行くと、出国するタイミングが異なる同じ隊員たちが見送りに来ていた。
この人たちもきっと、予定通りには過ごせなかった人たちだろう。
ちっちゃい日本国旗を振りながらゲートを抜けていった。
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海外に飛べない3年の間、同期の彼は国内のベンチャー的な試みをしているところで働いていた。
うまくいかない中で、かなりチャレンジングな仕事を見つけたらしい。不運を恨むよりも、少しでも学ぼうという姿勢は見習わなくてはならない。
結局その仕事で何が学べたのかは聞かなかったけど、海外で活かそうというモチベーションがあったろう。愚痴っぽくなることもほとんどなく、珍しく真面目に働いていた。
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隊員の赴任期間は2年間。
その後は若干の延長期間はあるかもしれないが、帰国して社会人に戻るらしい。
赴任先でできた人間関係やら、経験を買われて声をかけてもらえるやらで、そいつはきっちり計画を立てることはなかった。
現地での協力者はいるものの、プロジェクトをまわす日本人はおそらく隊員一人である。なかなかなハードワークである。それから帰ってきた人たちはおそらく自立して働ける人間だろう。
普通の会社に入ることはたぶんなくて、ベンチャーだったり、NPOとかNGOとかで隊員時代の延長線で生きるんだろう。
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不思議だ。
学部生・院生時代の自分を顧みれば理解できないわけではないが。帰国後のキャリアも不透明な中、どうにかなるやろ!と旅立っていく。
その時点で強者である。
まわりの雰囲気に流されずに自分の価値観を守って生きている。
一種の憧れと、嫉妬と、それからくる侮蔑の感情がある。
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社会のキャリアアップシステムから外れ、独自の少数派のルートを開拓していく。
まるで2-3日後には帰ってくるような軽い挨拶で同期はゲートの先に消えていった。
フットワークの軽さ、信念の強さからくる無計画さ。
2年後、僕はようやく社会人として独り立ちし始めているころに、彼はプロジェクトを未知の地で一人で進行して帰ってくる。
彼の方が圧倒的な成長があるだろう。
だからこそ、私も人一倍二倍の努力で遅れを取るわけにはいかない。
じゃないと、本当に惨めになってしまうから。社会のシステムに飲まれることが悪くないことを僕が僕のために証明しなくちゃいけない。
無事に生きて帰ってきてくれ。また飲みに行って、眉唾な報告をききたい。