ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈1347.大衆化すること〉

6月5日。


話題の某イベントに参加してきた。
一部のニッチな人による自己満足な商品を陳列する掘り出し物市だと認識していたが、なかなかに一般ウケする商品を多く売っているイベントだった。
そういうイベントに参加するのは初めてだったので面白かったが、想像とは違ったので物足りなさもあった。
ただ、インスタで人気なものというのがどんなものなのかちょっと理解できた。



日常で使える物の中に、レトロさ、非日常さを醸し出したいようだ。
例えば花瓶とか、食器とか、ポスターとか。なるほど、言われてみればオシャレである。
バーとかカフェのイメージだろう。全部がレトロな場所もいいが、清潔でさっぱりしている中にあるレトロなものというのは味があっていいのかもしれない。


ただ、それはなんのためだろうか。
「おしゃれ」というのは、前に記事にしたように自己満足・自己表現のものであり、正解・不正解が存在するとかそういう類のものではない。
しかし、展示されている道具は同じような傾向があり、一部のコアなものには見向きもされていなかった。
それは一つの潮流があって、それに向かって「オシャレ」を探しているような感じだった。
80年代のポスターが入れられた箱の中を一心不乱にかき混ぜるぎゅうぎゅうな人たちは、ちょっと普通ではなかった。



しかし、文化というのはそういうことだろう。
サブ・カルチャーと呼ばれるマイノリティー文化が大衆化して、メイン・カルチャーとして覇権を握るのを繰り返している。
今回はそのサブを期待していったら、思いのほかメインになっていた、という話であろう。
大衆化すると、面白いと感じる人数が増えるので発展はするけれど、少数に刺さっていた異質感はそぎ落とされる。悪い言い方をすればつまらなくなるし、良い言い方をすれば毒が抜けているということだ。


それはYoutuberの文化とか、お笑い番組とか、なんでもそうだろう。
みんなにウケると、コアな人間にとってはつまんなくなるのだ。
しかし、そうすることで資金を得て、次の活動へとつなげられるのだ。
いつまでも少数万歳をやっていたら、発展することはない。
人の目に晒されるというのはそういうことだ。



好きなニコニコ動画の実況者グループがいる。
話題になって、なかなかのファン数を抱えるグループになった。
ゆえに、かつて持っていたような鋭さがなくなっているような気がしなくもない。
しかし、それをわきまえている人たちではあるので、有料コンテンツではかつてのような鋭さを持ち続けていたりする。


難しいと思う。
大衆に売れて、資金を集めることで次の活動をすることができる。
そうすると、かつてよりいたコア・ファンが消える。すると、まさに消費されるコンテンツとして、中身のない大衆迎合の亡霊になりそうだ。
批判されてもコアファンを忘れない努力が必要なんだろうな。


そう考えると、今日お邪魔したイベントはどうだったんだろう。
イベントだから、そもそもコアファンがいないのか。それでいいパターンか。
うーむ。