ホウチガブログ

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〈1307.香り立つIP〉

4月26日。

 

IPというのは、”Intellectual Property”の略語であり、知的財産のことを指す。
PRSJというサイトでは、「人の精神的な創造行動から生まれた創作物や、営業上の信用を表した標識なおど、経済的な価値を有したモノの相称」としている。
平たく言えば、経済的な価値がある創造物ということだ。僕がいま考えた最強のドラゴンには経済的価値はないのでIPではないと思われる。
例えば「ドラゴンボール」という作品もそうだろうし、「孫悟空」「ベジータ」というキャラクターもそれに当てはまる。経済活動のところにある作品・キャラクターがそれに当てはまるだろう。


しかし、僕が考えた最強のドラゴンというのも、著作権とかそういう難しい権利問題を絡ませたらIPになるのかもしれない。
ただ、個人的にIPと言われて真っ先に想像するのは、例えばドラえもんとか、孫悟空とか、ルフィとか。そういうだれもが知っている存在であろう。


そして、具体的なイメージがある。
ドラゴンボールであれば、セル編終わりの羽がついた悟空を僕はイメージする。そして初めて読んだ時の感動とか動揺とか、そういうのがフラッシュバックする。
今回はそういうだれもが認識できる作品・キャラクターを「IP」ということにする。



ちょうど先日、先輩とIPの話をしていた。
そして僕が考えているIPイメージと、先輩が考えるIPイメージがまったく一致することはないけれど、どちらも「ルフィ」「ドラえもん」である。そしてそういう話をしていると、当時の感情を思い出して感動が溢れたりする。
それを先輩は「香り立つ」と形容していた。


溢れる感動というのは、鳥肌がたったり、涙が出てきそうになることだ。僕は先輩と話している最中に涙が溢れんばかりだった。過去に感動した作品でね。
ブワッと過去の記憶が溢れてくる。鳥肌が立つ。涙が出てきそうになる。それを作品がまとったオーラが「香り立つ」と表現したのだろう。


いったい「香り立つ」作品とはなんだろう。



一つには強烈なキャラクターがいることだろう。
憧れたり、嫌悪したり、ピンチになれば必死に応援したような。そういう対象がいることだろう。
感情を揺れ動かすのは、自分が投影されたり、リアルの自分に反射してくる存在である。
地味なキャラクターであっても、それがリアルの自分と比べてどうだろうと強烈に考えさせれば、それはもう香り立つIPに他ならない。


二つ目に、広く認識されていることもあるだろう。
これは単純に人間の記憶とか認知とかの話に近しいだろう。
忘却曲線を上にあげるためには、定期的に思い出すことである。思い出すためには1人で思い出すこともできるけれど、それ以上に強力なのが、文字にしたり言葉にしたり、つまりはだれかとコミュニケーションの種にすることだろう。
コミュニケーションの種にするためには、ある程度相手も同じ知識を有している必要がある。
読んだことなくても「孫悟空」のことは母親にも理解できる。
「香り立つIP」のためには、知名度もある程度必要なのだろう。マストではないだろうが、要素として捨て置けない。


三つ目。二つ目と付随することであるが、「二次創作」が生まれることがあるような気がする。
原作を「一次創作」、そのキャラや世界観を用いて作られる作品を「二次創作」と呼ばれる。
二次創作を作る人というのは、たまらなく一次創作が好きな人である。好きで好きで仕方ないので、自分で勝手に話を広げ始めて、それを誰かと共有したり、感動を分かち合いたくて仕方ない。
これはある意味結果的には当然のことである。強烈な思い出を発信したい人間がファンとして付いているのは、「香り立つIP」の十分条件ということかしら。


四つ目。間違いなく、「長く」愛されていることである。
「香り立つ」ためには、いろんな経験が詰め込まれている必要がある。悲しみとか苦しみとか喜びとか。積み重なった記憶があって、そういう混沌とした感情が溢れてきて「香り立つIP」といえるだろう。
そのためには、単純に短い話ではなく、長くいろんな情緒が紡がれていなくてはならない。
平たく言えばシリーズであることだろう。
もちろん例外はあるだろう。しかし、愛されるというのは、それが長寿化することとほぼイコールであろう。


五つ目。一つの感覚ではなく、複数の感覚に訴えることだろう。
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。全てに訴える作品というのはほとんど不可能だろう。
味覚・触覚・嗅覚は物理的な干渉が必要だからね。
となると、視覚と聴覚である。アニメ、映画、ゲームはこの二つを刺激してなんぼだ。
神曲と言われるBGMがあると、雰囲気も盛り上がる。盛り上がるということは感情が大きく揺れ動いているということだ。感情が大きく動けば記憶にも残る。後々音楽だけ聞きたくもなるし、そうなると忘却曲線に抗うことができる。
「香り立つIP」のためには映像だけでなく、音楽も必須だということだ。


 

長くなってしまった。
キャラクター、認知度、二次創作、シリーズ、映像と音楽。
このうち、認知度と二次創作は結果的にそうなったことであり、クリエイター側は意図してできることではなさそう。いわゆるプロデューサーが広報を頑張ったり、ファンのための施策を整えてようやくできることだろう。
となると、キャラ、ボリューム、視覚・聴覚ならどうこうできそうだ。


言うは易く行うは難しの典型的なもんだ。
じゃあ「強烈なキャラ」ってなんだという話は無限にしなくちゃならないし、「作品のボリューム」というのも今の時代難しくなってきた。YoutubeとかTikTokのように短い動画が溢れる世の中で、一つの作品に長くくっつく人はレアだろう。「神曲」だって、おれは一個も要素はわからん。
要素分解はできたかもしれないが、じゃあ再現してみましょうとは容易にはできないぞ。


困った困った。
やるだけやって、それでだめなら一緒に死のう。