ホウチガブログ

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〈1351シュールについて〉

6月9日。


シュールとはなんだろう。
よくシュールなお笑いだとか、シュールな絵だという批評文を見ることがある。
「シュール」のもとはといえば、シュルレアリスムだと聞いたことがあるが、実のところよくわかってない。
なんだシュールって。



シュルレアリスムとは口頭、記述、その他あらゆる手段で思考の真の過程を表現しようとする純粋な心的オートマティスムである」らしいです。
オートマティスムとは、あたかも、何か別の存在に憑依されて肉体を支配されているかのように、自分の意識とは無関係に動作を行ってしまう現象」のことらしいです。


つまり、思考過程を無意識下で表現しよう、みたいな認識でいいのかな。
フロイト心理学に影響を受けたアンドレ・ブルトンという人が最初に言い出した人らしい。
非現実的、超現実的で、非理性的な話らしい。


日本では、ありえない設定とか、現実的ではない話など、現実離れしているという意味で使われることが多いらしいです。
もともとは芸術の分野で、もっと本能に身を委ねて表現したいんだ!っていうところから出発して、それが現代的には非現実的な話であればシュールだということだろうか。



よくシュールなお笑いだという例として、ジャルジャルがあげられる。たぶんラーメンズもそうだろう。天竺鼠川原もそうだろう。
お笑いという文脈において、二つのシュールがある気がする。
ジャルジャルのように、現実的ではない話を全力でやるコント。無表情で当たり前のようにありえない話をするコント。この二つであろう。設定で想像される範囲外のことをやることが共通点としてあって、そこに対する表情とか熱量の違いがその深度を変えている気がする。


じゃあこれからシュールなネタをつくろうといっても、非常に難しいのは想像に難くない。
だって、現実的ではないことを現実の私が考えることがまず難しい。
そのハードルをこえても、非現実的なことをやって笑ってもらうというのも難しい。理解できないorしにくいものをどうやって笑いにつなげるのだろうか。
しかしながら。お客さんに解釈を委ねる意味不明な行為がシュールであることに変わりはないだろう。



非人間の存在に、人間の日常をやらせるものシュールだろう。
人間に、非人間の日常をやらせることもシュールだろう。
つまり、現実にあるものと現実にあるものを掛け合わせても確実に現実にあるものではないらしい。
そこの、微妙な感覚を抜き出して来れたら、きっとそれはシュールなお笑いになるのだろう。