10月10日。
この3連休、旧友が訪ねてきたりとかで、いまの自分の立ち位置を見つめるいい機会になった。
旧友は病院のリハビリを担当する仕事をしていて、一緒に楽天オープンをみていても体の使い方に非常に敏感にしていた。
大学卒業後に病院に勤めながら大学院で論文を出していたそうな。勤勉なやつだ。
ことあるごとに仕事の話題が出るくらいには、今の仕事に誇りをもっているようだ。
うらやましい、というのは語弊があるかもしれない。自分の仕事にプライドを持つのは素晴らしいことである。
。
仕事に誇りを持つというのはどういうことだろう。
まず第一に、自分がやりたいことができているというのは間違いないだろう。やりたくもない仕事のことをわざわざ休日に話すまい。好きなことだからこそ、話をしたいのだ。
次に、それが社会や誰かのために役立っている感覚であろう。自分の仕事がきちんと意義があるものであれば胸を張って紹介もできよう。
そして、個人的に感じる部分として。仕事ではない部分ときちんとメリハリができていることもある。一日のすべてが仕事であれば、仕事を全肯定しなければ自分が生きることを否定されかねない。誇りなんて持つ余裕はない。誇りがあるというのは、その対象に対して距離感をもって認識したうえでも有意義なものであると判定できるときに出てくるものであろう。
よくいわれる、仕事だけではなく、もうひとつの自分が生きるフィールドを確保する、という点であろう。
旧友の場合は新婚ということもあり、夫/旦那として、あるいは投資とかそういう部分で別の自分を確保しているようだった。
。
最近の自分の行動を考えると真逆であった。
例えばこのホウチガの更新ができなくなったように、残業時間も長くしており、それで自分がよくやっていると肯定するような虚しい毎日であった。
仕事が終わるのが21時ごろであれば、あとはご飯をたべて寝るだけである。仕事以外の勉強の時間を作る余裕もなし、効率も悪いものだ。
こうなると、勉強する時間もとれない、効率よく仕事もできない、でもそんなことを否定したら毎日が否定されてしまう、という負のスパイラルに突入である。
きちんと寝る、というのは当然だが、無駄な残業をせず、さっさと退勤して別のフィールドの自分を確保するのも大事なことであろう。
。
気分転換にカラオケに行くとか飲み屋にいくとか、そういうのは悪いことではないだろう。
ただ、問題を先延ばしにしているだけで気分が悪いことに変わりはない。
もちろん人間関係を考えれば、自分だけでは解決不可能なのですぐに問題を解決することはできないかもしれない。
それでも、自分で解決できる部分が解決できていなければ、現実逃避でしかない。
ドラゴン桜で確かそういう話があったと思う。気分転換したいなら、ひたすら問題を解くだけであるとか。気分転換をしても結局解決できない。問題を先延ばしにする罪悪感だけが残る。
。
仕事に対して誇りを持つことができなくとも、それで自己嫌悪に陥るのは現実逃避が発生しているからだ。
問題を明確化して、そのうえでその問題の解決のための行動を取っていれば、誇りはなくとも自己嫌悪にはなるまい。
そして、仕事と自分の人生を切り分けて考えることも必要だ。
それがこの2カ月間、徐々に欠如していった部分であると学びがあった。
明日もホウチガを更新できていれば、改善行動が取れているということだろう。