ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1397.残業を経験すること〉

8月30日。


仕事は残業ができる。しかしホワイト企業なので、22時までに仕事を終えないとお叱りを受けることになる。
なので、ちょいと忙しい時期でも、ぎりぎりの21時45分とかに退勤することになる。


しかしながら、22時ごろに仕事を終えることがこんなにも厳しいことだとは知らなかった。
世の中の残業サラリーマンが鬱病になることもよくわかる。
そりゃあしんどくもなるさ。



僕は恵まれた仕事につくことができたので、業務内容に文句がないだけありがたいことなのだろう。
しかし、朝8時から22時まで働くと、仕事以外のことが何一つできない。
いや、当然のことだけどね。これは体験してみないとわからないことかもしれない。
リモートなので、起きてすぐにパソコンを起動する。そして昼に休みをいれて、ちょこちょこ飲み物を飲んだりして休憩は入れる。ただ、業務内なので心の底から休まることはない。
そして22時だと、ご飯を食べて風呂に入ると23時である。


勉強して昇進街道まっしぐら!とか考えていたけれど、そうも行かなくなった。疲れて寝てしまう。
しかも、たった一日・二日続けてこの生活をするだけでこうなる。
毎日していたら、そりゃあ頭の中仕事だけになるし、そうなったら鬱病にもなるさ。



「仕事をやめても代わりがいる、それくらい軽い気持ちで仕事に向かうべき。」
こういう言葉をネットで見かけるが、これは非常に危険な言葉であるように思う。
朝起きて、寝るまで仕事をするような人に、お前の代わりはいるぞ!というのはとどめの一撃になってしまう。
だって、解釈によっては、「それだけやってるお前が存在する意味はない!」という受け取り方もできてしまうもの。
実際、たった数日の残業だけど、これを表から否定されたらやめたくもなるだろう。残業することには理由があったり状況があるわけで。その結果、もちろん非効率な働き方をしているかもしれない。そこを一緒に解き明かすことが必要だぜな。


はじめて残業をすることで、そのことの重大さを思い知ることになった。想像では決して辿り着かないものだっただろう。



人間の想像力は非常に自己中心的である。
いくら相手の立場に経って考えようが、無理がある。ミーティングでの一瞬の発言でも、自己主張でも、こちらが腹が立つような発言の裏には、相手にしかわからない事情が必ずある。


一番手っ取り早いのはその立場に身を置くことだ。
研究職や職人の気持ちがわからないならその仕事に密着することだ。逆に営業マンのスポーツマンの気持ちがわからないなら一緒に動いてみることだ。
そういう意味でも、本の虫だけではなく、広く身を投じてみることが、相手への理解には重要になってくる。
そして、いろんな立場を経験して、その先には最大級の謙虚さがあるように思う。結局すべての人間が何かしらに関わっているから成立している生活であることが身に染みてくる。


もちろん、目の前の業務について、替えがきかないという話ではない。僕が残業して出した成果も、たぶん他の新人が出す成果と大差ないだろう。どんな仕事でも、スティーブ・ジョブズだって、替えがきいてしまう。
だが、それと相手の立場にそのままなり替わることは同義ではない。


目の前の小さなタスクに対する成果は替えがきくけど、それを積み重ね、一つの物語としての人生や人となりは自分だけのものである。
それがどんな人にもあることを念頭に行動すべきであろうし、そのためにも相手の立場を経験してみることであろう。


結構楽しいでな。